町搬送システム


点検や細部にわたる改善で故障によるラインストップをなくすことなどが実施された。
それまではフル稼働するのが当然と考えられていたが、
操業率が80%になっても利益の出る体制にすることが目標になった。
①省人化を目的とするファクトリー・オートメーションの採用。
②異なる車種に対応する
フレキシブル・マニュファクチャリング・システムの採用である。

省力化のためには、NC工作マシンや溶接ロボットの採用など自動化機械、
さらに町搬送システムなどの導入がある。

生産設備の革新


オイルシヨックが起こるまでは、増産に次ぐ増産体制にすることに躍起になっていた。
それを見直す契機となり、どのメーカーも設備投資は控えられるようになった。
トヨタでは、それまでは増産する場合には、
設備の増強を図るのが当然のごとく考えられていたが、
これ以降は増産する必要のある車種でも、ラインの流れる速度を速めたり、
作業の中断の時間を短縮するなどで稼働率を上げて対処した。

中古のトラック


自動車社会になって、アメリカ国内で産出される石油が底をつくようになり、
産油国から輸入国になっていたからだ。

石油の消費量がどんどん増えていくことは、
アメリカの中東政策に悪い影響を及ぼす可能性があったのだ。

燃費の規制はふたつあった。
一つは企業別燃費規制値設定である。
乗用車とライトトラックに関して、各メーカーのアメリカでの年間販売車すべての
平均燃費が一定の水準に達してない場合は罰金を課すものである。
これは、1978年に始まり、毎年のように規制値を上げていった。

燃費の良さは売り上げを左右するステータスとなる。
特に大型車は重量が重いので、重視される。
日本車であれば、中古のトラックの性能も悪くないのだ。
リース車であれば、管理の手間がいらずオススメである。

ヤマトリース株式会社
http://www.yamatolease.co.jp/

コスト削減


鋼板を使用したボディでは、各部分ごとにプレス機でかたちをつくっていくが、
デザインしたときに異なる車種でも同じもの、
たとえばフェンダーなどを共通にすれば、
金額が張るプレス型の数を少なくすることができる。

共用する部分を多くしながら、
外観は異なる印象のデザインにすることで差別化を図るように配意するこの手法は、
多種生産しているメーカーでは今や常識的な手法である。
これをゼネラルモータースは、世界恐慌のなかで採用し、コスト削減に成功した。

生産台数の減少


この時期の生産台数の減少をどのように乗り切ったかが、
後々に大きな影響をもった。

主として、フォードの経営の乱れが、
ゼネラルモータースを揺るぎない世界的な大企業にさせ、
クライスラーをフォードに並ぶ大企業に育てる原動力になった。

ゼネラルモータースは、販売台数の減少に対して適切な措置をとって、
落ち込みを少なくするとともに、生産コストを大幅に下げることで、
利益の減少を抑えることに成功した。

生産を減らすことになったゼネラルモータースでは、
部品の共用化によるコスト削減をいち早く実施した。

コスト削減を図るゼネラルモータース


パッカードは、苦し紛れに大衆車を発売して販売台数の落ち込みを防ぐことができたが、パッカードの持つ高級イメージを傷つけ、弱体化することになった。
倒産を免れたメーカーも、気息奄々のところが多かった。

ゼネラルモータース、フォード、クライスラービッグスリーは、
打撃があったにしても倒産の危機を迎えることはなかった。

リースでまかなえる


業務で必要なものは色々リースでまかなえるようになった。
たとえばコピー機、プリンター、PC、中古車まで。
ヤマトリースなら車から物流機材まで調達できる。

自動車の先駆者デュラントの晩年について紹介する。
デュラントは第二次大戦後の1947年まで生きたものの、
晩年は病気と戦争による経済の閉塞のなかで恵まれたものとは言えなかった。

とはいえ、その事業に賭けたバイタリティと生き様は、
誰もまねのできないものであり、
自動車メーカーの歴史のなかで奔放に行動した巨人であった。

パッカードやスチュードベーカーなどの伝統のある名門メーカー、
さらに新興勢力のなかで成長していたナッシュも大きな痛手を負ったものの、
何とか持ちこたえることができた。